うつ病になった話

自分には関係ない病だと思っていたうつ病になりました。 だいぶ復調しましたが、まだ日によっては思わしくないときもあります。

「自分はうつ病かもしれない」と感じて情報収集をしましたが、自分にぴったり合う事例が見つからず悶々としたことがあったので、自分の症状をまとめてみようと思いました。 もし、うつ病かもしれないと思っている方の助けになれば幸いです。

うつ病とは

うつ病は心の病。なんて言ったりもしますが、心って?と私は思いました。心は概念的なもので、物質的には存在しないので、それが病むということが腑に落ちませんでした。 厚労省のサイトでは「うつ病は、精神的ストレスや身体的ストレスなどを背景に、脳がうまく働かなくなっている状態です。」とあります。

▶ うつ病|こころの病気を知る|メンタルヘルス厚生労働省 www.mhlw.go.jp

脳がうまく働かないから、いつもと違う思考に陥ったり、行動に移せなかったりするのはとても分かりやすいです。 自分がなって思ったのは、うつ病はとても主観的な病気だということ。病院に行った時も、問診で「うつ病っぽいね。うん、うつ病だね」と先生に診断されました。 一般的な病気は、血液検査などをして、数値を客観的にみて判断しますが、うつ病は患者の自己申告で判断されるので、要は自分次第といった側面もあると思います。 とはいえ、症状が出ているということは何らかの異常が発生しているので、病気として存在しているのは間違いありません。 また主観的であるからこそ、症状も様々なんだろうと思っています。

私の症状

きっかけは仕事での大きなストレスでした。会社の上司やお客さんの上司まで巻き込んだ騒動を起こしてしまいました。 その当時は、寝る間も休日も惜しんで働いていました。いま思えば、この時からおかしかったのですが、自覚する余裕もないまま過ごし、少し落ち着いてきたころに症状を自覚しました。

頭痛

私は、普段ほとんど頭痛がないので、この症状は分かりやすかったです。数時間程度であれば気にしなかったと思いますが、1週間くらい続いたのでおかしいと感じました。

肩こり

これは普段からある症状なので、うつ病が直接的な原因ではないかも知れません。ただいつもよりも症状が重く、頭痛よりもつらかったのを覚えています。

近距離の視点が合わない

うつ病となってからも、いままで通り仕事を続けていました。机に座ってモニターを見ていても、気を抜くと焦点が合わなくなる症状が現れました。

寝つけない/夜中に起きて眠れない

これが一番嫌だったかもしれません。体調がおかしくなってからは、早寝早起きを心がけるようにしました。早い時には9時に横になります。しかしいっこうに眠れない日が週の半分以上ありました。 寝つけても夜中に目を覚まし、そのまま1~2時間寝られないことも多かったです。

休日、横になって過ごす

平日に寝られないためか、休日は横になっていることが多かった気がします。無気力であったことも関係しているかもしれません。

食欲の低下

食べることが大好きでコロナになる前は週末ごと、夫婦で美味しいものを食べ歩いてましたが、うつ病になると食欲が減退しました。空腹感はあるので食事はするのですが、いつもの半分くらいの量で十分でした。また食べたいものが思いつかず、ただタスクとして食事をしていた気がします。

涙もろくなる

ちょっとしたことですぐ涙が流れました。TVCMのワンシーンや他者の何気ないひとことであったり、様々です。涙活なんてものがあるくらいですから、ストレスが大きくなると出る反応なのかもしれません。

吹き出物の大量発生

吹き出物が出やすい体質なので、普段からできるのですが、とても増えました。顔にはいつも5~6個の大きな吹き出物がありました。ケアをすると症状は落ち着いてきますが、気が付くとまた出来ている。といったことを繰り返しています。

こういった身体的な症状が現れたので、病院に行きましたが、これよりも苦痛だったのは精神的な症状でした。

無気力

やらなければいけないタスクが分かっているのに、手がつけられない日がありました。机に座っていても仕事が進まずにいました。タスクを極限まで細分化しないと取り組めない時もありました。たとえば、必要な資料を確認する。ファイルを開く。内容をチェックする。作成するファイルを開く。。。といった細かなタスクをメモして、ひとつずつ潰していく。みたいな感じです。 ただ一方で、食器洗いのような単調な作業はできたので、仕事が進められなくなったら、簡単な家事をして気分転換をしていました。

何かにつけネガティブな思考

思うようにできないのでもちろんネガティブな思考になりがちです。やることができない逃避行動として、ネガティブ思考に陥っていた気もします。自分には価値がなく、存在意義がないと本気で思うようになりました。また影で自分のことを悪く言ったり、さげすんでいる人が浮かぶこともよくありました。

たまに暴力的/破壊的な妄想

ネガティブな思考の延長にあった気がします。誰かをものすごく困らせたり、傷つけたりする妄想です。こういう妄想は結局自分を疲れさせ、心をささくれ立たせるだけなので、こういう思考に陥ったときは無理にでもその相手の幸せを思い浮かべるようにしていました。

判断力・理解力が低下

この症状はかなり顕著に感じていました。仕事のちょっとメールが返信できない、打ち合わせでタスクを決められないなど、普段ならどうってことないものが判断できないことがありました。また自分では自覚があまりありませんでしたが、誰かの発言を誤った理解をすることも多くありました。まさに脳の機能がおかしくなっている証左かと思います。

集中力の低下

判断・理解ができないので、集中が持続しません。すぐに躓いて、席をたったり、違うことを始めたりすることが多くなりました。違うことを始めてもまた躓くので結局何も進められずに時間ばかりが過ぎていきます。

精神的な症状はすべてリンクしているように思えます。判断力が低下して、集中が持続できずにいるから無力感に苛まれる。無力感は、ネガティブな思考を生み出し、それがエスカレートして暴力的・破壊的な妄想につながる。といった感じでしょうか。

うつ病になってはじめたこと

うつ病関係の情報を収集する

自分がなぜこのような状態になっているのか、そもそもうつ病とはどんな病気なのか、うつ病になった人にはどんな症状が出てどう改善しているのか、などを情報収集していました。世の中にはうつに関連する情報が多いので、自分が信頼できるものだけを読んでいました。日によっては活字が読めないこともあるので、マンガもだいぶ読んでいたと思います。情報収集すると自分が何によって苦しめられているのか分かってくるので、原因が分かり少し楽になれた気がします。ただ、自分の症状に当てはまらない、もっと重篤な症状などをみると「自分はうつではなく、ただ怠けているだけではないか」と思うこともあります。この思考こそ、うつの症状であると書いてあったものがあり、とても気分が楽になりました。

読んだ本をまとめる

情報収集をして私が行きついたのは、自律神経を整える、ことでした。最終的には病院に行きましたが、うつ病と診断されるのが嫌、薬の服用も依存性のリスクから避けたいと思っていましたので、自力でなんとかしようと思っていたのです。(後でそれは間違っていたと思うようになりました)自律神経を整える作業として、写経があります。一定のリズムで単調な作業をするとよいそうです。意味も分からずお経を書いても仕方ないと考え、収集したうつ病の情報を手書きでまとめる作業をしました。なるべく丁寧に書くことで写経と同じような効果が得られたのではないかと思っています。また読むだけでなく書き写すので、病気の理解も進む結果になった気がしています。

現象をただ受け止める

問題にぶつかったとき、自然と解決策を模索して行動します。うつ病になると解決策を決めることができないので、現実と理想のギャップに苦しむことになります。うつ病の本に書いてあった「ただただ起こっていることを観察する」ことを実践してみました。いま自分は辛いんだな、仕事が思うようにできなくて苦しいんだな、簡単なこともできなくてプライドも傷ついているんだな、といったように自分を観察して状況を確認する作業をしました。不思議と肩の力が抜けていき、絶望とは違う少しポジティブな諦めを得ることができました。

自律神経を整える

先にも少し触れた自律神経です。人は自分の意志で生命を維持・コントロールしていません。心臓の鼓動も血液を送ることも、食物を消化・排泄することも無意識に、体が勝手にコントロールしています。自律神経を整えることは、うつ病の改善した後も継続的に実践すべきことと思っています。

・早寝早起きをする

寝つけない時も多々あるのですが、それでもとりあえず横になります。だいたい9時~10時に横になっていました。翌朝は5時~6時に起床するようにしています。週の後半は疲労がたまり7時くらいになることもありましたが、あまり気にせず疲れていたんだなと思うようにしています。朝早く起きて、白湯を飲んで、シャワーを浴びて、少し体を動かしてから仕事を始めます。私の会社は10時始業なので、7時から仕事を始めても始業まで3時間たっぷりあります。朝は深夜と同じで、誰からも連絡が入らない(入っても始業まで無視)ので、自分のペースで仕事ができ、快適でした。

・日の光を浴びる

仕事を始める前にベランダでストレッチをしました。本格的なものではなく、膝の屈伸・前屈・形回し・深呼吸など簡単なものです。外気に触れて、陽光を浴びるとスイッチが入る気がしました。体内時計の調整にも効果があるようです。うつ病になると季節を感じないことがあるようですが、外に出ることで日々の変化を実感することもできます。

・散歩をする

もともと歩くことが好きなので、苦も無く実践できました。平日はなかなか時間が取れないので、週末に行いました。私は東京の下町に住んでいて、お散歩スポットには事欠かないのもよかったと思います。少し遠出をしたいときは、電車で目的地まで向かい、徒歩で帰宅するなどいろんなバリエーションを作れたのもよかったです。気分が乗らない時もあるので、そんな時は3kmくらいのご近所散歩。歩いていて楽しいときは10kmくらいあてもなくさまよったりしていました。外気に触れ、日の光を浴びられ、リラックスもできるので、よい気分転換になっています。

・乳酸菌を摂取する

最近、腸が注目されていますね。第2の脳なんていうことも聞きます。私が注目したのは2点です。①幸せホルモンの多くは腸で作られる ②免疫力を高める です。腸を健康に保つことで、良い効果がられます。とはいえ、やることは簡単で、乳酸菌を摂取するだけとお手軽です。私はサプリメントとヨーグルトで摂取しています。目立った効果は実感できていませんが、何かいいことがありそうだと期待しています。

早くやればよかったこと

医師に相談/服薬

もっと早く症状を改善できたのではないかと思っています。うつ病と診断された自分にレッテルを貼ることに抵抗がありました。うつ病に対する偏見もあったかもしれません。また風邪や骨折のように完治が分かりやすいものと比較して、うつ病は完治が分かりにくいので、うつ病の自分と一生過ごしていくようなイメージを持っていました。いまは、それならそうで構わないし、上手に付き合っていければいいと思っています。

家族や同僚に相談、頼る

普通ではない状態になっているので、周囲の人は「なんかおかしい、うつかな?」と思っているようでした。それをひた隠して無理をして悪化させていた気がします。早く診断を受けて、その診断結果を周りに知らせていたら、もっと楽だったと思います。うつ症状が顕著な時は不信感の塊であった私でしたが、いまは人はとても優しいと思っています。妻は私の症状を気遣ってくれ、おかしいときはそっとしておいてくれます。会社の同僚や上司は、個別にメッセージをくれたり、私のタスクを振り分ける手伝いをしてくれました。正直、情けない自分を憂いたこともありましたが、できないのだから仕方ないと開き直っている部分もあります。自分がちゃんと復調したら恩返しをしたいと思っています。

仕事を休む

一度休んだら復帰できないのでは?と心配でできませんでした。いまでもそれは思っています。ただ無理を重ねても症状は良くならないので、休めるのであれば有効な選択肢だと思います。傷病手当を使えば会社の負担も少しは抑えられるので、相談をしてみるのもいいと思います。

さいごに

うつ病になって、いままでと違う自分になりつつあると感じています。仕事をバリバリこなして、会社でのポジションも上げて、周りから頼られて・・・といったものをビジョンとして持っていました。自分の思い通りに物事を進めることに躍起になっていた自分が、うつ病を体験することで、周囲との調和(もちろん自分との調和)をとても意識しています。これまで尻を叩いて進ませようとしていたのを並走するスタンスに変わった感じ、ともいえばいいでしょうか?自分の弱いところを自覚することで、他の人にも同じように弱いところや苦手なことがあると分かりました。それは優劣ではなく個性として理解しています。うつ病に対しても大らかに考えられるようになりました。風邪をひきやすい人がいるように、うつ病になりやすい人もいる。それも体質・感性・個性の違いだと思います。

うつ病は自分や世の中を悲観的に考えることが得意な病気なのです。つらいときは誰かに頼ったり、じっと身をかがめて耐えたり、人によって様々ですが、必ず復調するので希望をもって冷静に対峙できるといいと思います。苦しんでいる人が、1日でも早く自分らしい毎日を過ごしていただくことを祈っています。

良いところを見る

前回、私が大変なスランプに陥っていると書いた。あれからいくらも経っていないので、状況は相変わらずだが、気持ちをスイッチさせたおかげて、少しは楽な心持になった気がする。

勤めている会社の経営者が「ピンチはチャンス」という言葉を口にする。正直、なにキレイごとを言ってるの?と今までは思っていたが、今回のスランプでは、この言葉が励みになっている。

仕事がうまくいかない、とてつもなく忙しい、やる気がでない。誰だっていつでも順風満帆ではないから、つまずく時だってある。しょっちゅうある。

そんな時にただ悲観に暮れるのではなく「なんでこうなったか」を考えると、状況を客観的に分析でき、成長につながるのではないか。

仕事がうまくいかない原因は何か?それを改善するために必要なものは何か?実現するために自分が何をすればいいか?できなければできる人を探せばいいのか?深く考えていけば、何かしら解決につながる仮説や対応策が浮かんでくる。それを実行することで自分の引き出しが増えて、成長する。

とはいえ、つらい現状に向き合うのは、とても気力のいる作業だ。実際に今の私もまっすぐに向き合えていない。無理をしすぎるとさらに自分を追い込み、深みにはまってしまうので、そんな時は、ちょっとしたリフレッシュをしたり、自分を元気づけることを意識的に行うようにしている。

疲れているなら、少し休む。深夜まで仕事をしないといけない状態でも、1時間早く切りあげて、睡眠時間を少し長く確保する。疲れてモチベーションが上がらないなら、ちょっと美味しいものを食べてみるとか。

実際によくやるのは、ノンアルコールビールを飲みながら仕事をするということ。酔わないけれど、少し気持ちがリラックスするのはプラシーボ効果かな?と思ったりしている。あとは本を読むことも多い。こないだ本屋で見つけた本が、細切れの時間で読むにはちょうどいいので紹介。

1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 | 藤尾秀昭, 稲盛 和夫, 柳井 正(ほか述) |本 | 通販 | Amazon

1ページ1話で収録されているので、5分休憩でも読める。この本は、仕事で偉業を達成した人たちの座右の銘や仕事のポリシーなどが紹介されていて、刺激になる。さっきも開いて少し読んでいて、あぁそうか、と気づきがあったので書き始めた。

「物事の悪いところばかりを見るよりは、良いところを見て、それを伸ばしたほうが良い」みたいなことが書いてあった。今の自分にぴったりの内容。毎日朝5~6時から仕事を始めて、終わるのがだいたい26時ころ、という生活がここ2週間続いてる。体力的にもしんどいから週末は休みたいんだけど、踏ん張りどころなので、週末も仕事をしている。

私はウェブサイトをつくる仕事をしており、プロデュース担当なので、当然構築をしてくれるスタッフがいないと仕事にならない。土曜日の今日も2案件が動き、3名が休日対応をしてくれている。このご時世にブラック企業か?と思われるかもですが、クライアントありきの商売では、避けられないこともしばしば。とはいえ残業時間の管理をしており、36協定の範囲なので常識的な感じではありますが。

で、この記事タイトルなのだけど。(前置きが異常にながくなった)

休みも働いてしんどいなー、クライアントからの電話が止まらないなー、しんどいなーって正直思ってるんだけど、いいところを見ようとシフトチェンジすると気持ちがだいぶ変化するのに気付いたんで、そのことを。

自分もしんどいけど、一緒に働いているスタッフもやっぱりしんどいんですよね。しんどいと視野が狭くなって、自分の利益に向きがちなんだけど、いま取り組んでいる仕事でよい面を見ると「大きなミスもなく、着実にタスクをこなして、少しづつだけどゴールに近づいている」です。

これってすごいことですよね。連日遅くまで対応していて、気力も体力も少なくなっているのに、アウトプットの品質が保たれている。なんてスタッフに恵まれているんだろうと、感謝しかない。だいたい開発が詰まって、しんどくなってくるとちょっとしたミスが大惨事を招き、原因究明のために手を止めて検証にかかり・・・、結果とてつもない時間をロスするとかあるんだけど、今回はそれがまったくない。

いや、やばいくらいにすごい。書いていて、前向きな気持ちになったので、またお仕事に戻ります。今日は何時に寝られることやら笑

大切なものを捨ててみる

いま、自分は大変なスランプに直面している。仕事がうまくいかない。引っ越しをして、住環境が変わり困惑している。なんだか体調も悪いようだ。頭の中でぐるぐると考えて藻掻いているけれど、改善の兆しは見えない。そりゃそうだ。考えているだけで、何もしていないんだから。

そこで、自分が何に苦しんでいるのか整理してみることにした。

 

仕事について

私はウェブサイトを作る会社で、プロデューサー兼プランナー、たまにディレクターとして働いている。いま、仕事で悩んでいること、うまくいっていないことはこんな感じ。

 

  1. 売り上げ目標を達成できる見込みがない
  2. 自分のプランニング作業が否定されている
  3. タスクが捌ききれず、常に追われている
  4. 会社からの評価低い(と思っている)
  5. マネジメント業務の難しさに押しつぶされそうになっている

 

書き出してみて、早速気がついた。「評価」を得ることに頓着している自分が大きいんじゃないか?

目標を達成して、良い評価を得たい。企画を褒められ、さすが!と言われたい。多くのことをこなして、頼られたい。あなたはすごい人だ。と言われたいんだろうか。

とすれば、そんな自我を捨ててしまえば、楽になるのかも知れない。会社における評価は、給与とも直結するから、この際、お金に対するこだわりも捨ててしまえば、もっと楽になるかも知れない。

事実、今年リーダーからマネージャに昇格したが、昇給額は1万ちょっとで、怒りを通り越して呆然とした。もう、こんな会社は辞めてしまおうとも少し考えたほどだ。

この怒りは、自分個人のことであって、会社には会社の事情があるのだと思えば、もう少し冷静に受け止められるし、会社の事情を斟酌した行動にもつながるかもしれない。

プランニングの否定についてはどうだ?同じようなことが言えそうだ。自分が企画するときに大切にしているのは、自分ならではの価値観。誰でも考えられることには、あまり価値はないと思っていた。

スランプ真っ只中のとあるクライアントで、別の会社のスタッフがこんなことを言っていた。「もう少し要件を詰めて、全員の共通認識を作れれば、次のステップに進めますね」と。

企画書は、斬新なアイディアをお披露目するステージでもあるが、その目的は、企てごとをほかの人たちに説明して、理解してもらって、それぞれの役割を明確にして、実現に向けた行動につなげていくことだ。自分以外の人に理解してもらえないと、何も始まらないからこそ、話の筋道(ロジック)や判断基準となる軸が必要になってくる。客観的なファクトを積み上げて、誰もが議論の俎上に立てるようにする必要がある。企画に独自性があってもいいけど、それってほんの一握りのことなのかも。

だいぶ悩みが片付いてきた。あとはタスク過多とマネジメントかな。

これは根っこは同じ気がする。やりきれないことは背負わない、だ。自分でやりきれない品質、量は受けない。断ることも必要だし、自分以外に任せることも必要。ということは、自分でできる、彼ならできる、をちゃんとジャッジできれば、割り振りができるし、自分一人で抱えなくても大丈夫そうだ。マネジメントだって、会社が求めることを最低ラインとして考えれば、そんなに難しいことではなさそう。勝手に部下の人生を背負った気になった自分の愚かさがちょっと恥ずかしい。

誰かに好かれる、尊敬される、評価されることにこだわらなければ、もっと肩の力を抜いてリラックスして仕事に向き合えそうだ。まぁ、評価は上がりにくいだろうけど、自分がつぶれてしまうよりは、よっぽどマシだと割り切って、まずは心の復調に努めよう。

 

生活について

仕事の整理をしたら、これも大方片付いている気がするけれど、一応振り返ろう。外部評価を気にする自分だからこそ、住む場所はとても大事に考えていた。これまで暮らしていた場所は、どこも素敵な町だった。社会人になって東京に出てきて、世田谷で約10年くらしたのは、成城・三宿三軒茶屋。どこの場所も雑誌で特集が組めそうな人気エリアだ(今もそうかは知らないけど)。仕事が忙しくなって、職住隣接させる必要があり、一転中央区に引っ越す。住所に日本橋が入っていたこの土地は、とてもテンションが上がったのを今でも覚えている。日本橋はもちろん、丸の内や銀座がお散歩圏内で、世田谷に住んでいる時とは比べ物にならないほど「東京」に住んでいる実感が強かった。とても気に入っていたけれど、いまの妻との同居を機に江東区に引っ越すが、新しい住居も何かと話題の多い清澄白河エリアで、都落ち感はあったものの満足はしていた。そこから今住んでいる葛飾区に引っ越したんだけど、テンションがダダ下がりでした。多分今も。

他者からの評価を気にするタチだから、いいところに住んでいたい願望はあったものの、テレワークになり、会社へ行かないのだから、生活の質を上げようが引っ越しのテーマだった。前のマンションは、場所はとても便利だった反面、設備がだいぶやばかった。古いマンションで配管系はいかれてて、詰まることもしばしば。そこで築年数の古くない今のマンションに越すことに。

夫婦2人で3LDKだから、空間的な余裕はあるし、設備も悪くない。家にこもっている分には、何の不都合もないんだけど、たまに外出すると、やけにジャージの人が多かったり、洗練された感がまるでないのはちょっと嫌だった。人様のことを気にするなんてどうでもいいことなんだけど、ちょっと気になってた。

あと、引っ越す前は週に4~5回のランニングと週に1回のヨガorピラティスをしていたのが、急になくなったのも心を沈ませる原因かもしれない。呼吸は自律神経を正常にする働きがあるらしく、特にヨガをしていた時は、全身のストレッチにもなって体調がとてもよかった。

いまは心に余裕がないので、何もする気にはならないけど、そのうちまた再開してみよう。でも近くにヨガスタジオないんだよな。まぁランニングだけで

はー、書き出したらなんだか楽になった気がする。

須田町の夜/October 14,2016

 ハナキンと呼ばれなくなって久しい週末を控えた金曜日。赤ら顔のサラリーマンが賑わう繁華街から少し離れた路地裏にあるその店は、クラフトビールを売りにしているためか、それ以外のアルコールのバリエーションが明らかに少なくビールを飲んで欲しい意思がはっきり表れているものの、無類のビール好きが集まるようなこともない。10には満たないくらいのタップが並び、店内のゾーニングをそれらしい構えにしているのだが、悪意を込めて表現すれば、コンセプトの中途半端な印象だ。しかし一方で親しみを持って伝えると、肩の力を抜いて羽を休めることができる馴染みの宿り木とも言える。

 つい数分前にすり抜けてきた街の喧騒もここには届かない。脂ぎった威勢のよいサラリーマンもいなければ、派手に男遊びをして、昨晩寝た男の話題をアクセサリー替わりにチラつかせる女もいない。アルコールに上気しながらも慎ましく杯を傾ける、大人しい客が多い店だ。

 嵐のような5日間をどうにかやり過ごして、ようやく金曜日も幕を降ろそうとしている。体にまとわりついた疲労を洗い流すとともに、仕事の達成感をクールダウンするには、適度のアルコールよりも相応しいものはこの世の中に存在しない。

 ここ数年、平日にアルコールを控えるようになった。それまでは毎晩それなりの量を当たり前のように摂取していたから、慣れるまではいつも渇望感があったが、今となってはそれも遠い記憶だ。月曜から木曜までの休肝日は金曜日のささやかな愉しみを少しだけ大きくしてくれる調味料だと思えば、それも悪くない。愉しみを大きくするために我慢するというと、ちょっと大人びた自制心にも聞こえるが、そうではなかった。朝の目覚めの気怠さに嫌気を覚え、いつの間にかそうなっただけのことである。人間は合理的な一面もあるし、物事をポジティブに考えられる都合のよさも持ち合わせたハッピーな生き物だ。

 大きめのタンブラーでビールを注文して、五日ぶりのアルコールを勢いよく流し込むと、それに押し出されるように週末の実感が湧いてくる。後ろ向きではない深い溜息がこぼれ、今週もよく頑張った、と自分を振り返った。特に今日は、とあるナショナルクライアントの競合コンペがあり、数週間前から日常業務の時間をやり繰りして準備をしてきたプランを提案できたのだから、溜息も少し深かったかも知れない。まだ興奮が残っているが、心地よい安堵と静寂を久しぶりに味わった気がする。

 アルコールを邪魔しない肴を見繕っていると、鯵の刺身を勧められた。秋が深まりだしたこの頃には脂ものっているだろうが、刺身とビールの食べ合わせがどうも好きになれない。青魚独特の匂いがビールで増長されてしまうのがどうしても気になってしまうのだ。翌日は定休日になっているから、生鮮食材をなるべく片づけておきたいマスターの気持ちを汲んで、ここは頼むことにした。それと一緒に、保険ではないけれど、秋に似つかわしくないエシャロットもつけた。

 カウンターに出された大ぶりな鯵の切り身は新鮮で、さっきまでの思案は杞憂であったことに少し顔をほころばせ、グラスに半分になったビールで流し込んだ。空腹だった胃袋にものが収まると、心身ともに人心地つく。小難しい世の中を跋扈する人間もやはり動物なんだと一人合点して、もう一度、鯵を口に運んで、残ったビールを空にする。同じものを注文して、煙草に火をつけ、もう一度店内を見渡してみる。さっきと寸分も違わず同じ光景が目に入った。どうして酔っぱらいはこうも金太郎飴のように同じ状態でいられるのか不思議でならない。変化があれば、それを目で楽しんで酒の肴にもなろうものだが、どうも具合がよくない。

 視線を向き直して、左隣にいる常連へと向ける。今年三十路となったその男は、いつも物静かで多くを語らない。不器用さを器用に操る油断ならないいい奴だ。少なくとも週に5日は通っているようで、よほどこの店が気に入っているのだろう。もしかすると同じように通い詰めている彼よりも少し年上の女性がその理由かも知れない。今晩もそろそろ顔を出す時間だ。幾分せわしなく外に視線を泳がせている様子を見ると、目当てはやはり後者なのだろう。

 彼とたわいもない近況を話して、間をつなぐ。なにも生産しない代わりになんの害ももたらさない大人の所作をひと通り済ませたころ、その女性が現れた。久しぶりだね、と声をかけられ、やはり大人の所作で挨拶を済ますと、常連のふたりは、昨晩の話題の続きを話し始めて、私は取り残されてしまった。仕方がない。門外漢は私なのだから。

 気分を変えて、逆サイドの会話に首を突っ込んでみる。少し酔いがまわってきたようだ。日中の自分よりも随分と饒舌になってきた。

 この彼は私よりも少し年長で、耳まで被さるような髪の毛と整った顔立ち。俗っぽい言い方をするとモテそうなおじさんだ。以前、私が足しげく通っていた日本橋のはずれにあるスペインバルが近頃オーナーチェンジをして店をリニューアルしたことを話していたので、懐かしくなってつい話を割って入ってしまった。

 よくよく聞いてみたら、どうやら同じころにその店へ彼も言っていたらしい。とはいえ、私が行く時間は0時をまわってからがほとんどだったからすれ違うこともなかったようではあるが。

 その彼とマスターがくぐもった声で、にやつきながら話している。こういう時の男はたいていどうしようもない話ーー端的に言えばセックスだったり、その類であることが多いーーをしていることがほとんどだ。今回も例外ではなく、ここに来る前にホテヘルを呼んだのだがイマイチだったと、そのイマイチな理由をディテールに至るまで詳細に話していた。洋の東西を問わず、いつの時代だって男はその手の話が好きだし、話題には事欠かないネタをいつだって収集しているのだ。

 楽しい話がひと区切りついたようなので、話題を変えて話しかけてみる。彼は既婚者で娘が二人。奥さんとは薄皮一枚でつながっているのだという。自分以外の家族がみんな女性であることから、ストレスも多いらしく、息抜きに風俗へ行ったり、飲みに行ったりしているようだ。女性に起因したストレスを女性で発散するのも可笑しなことだな、と思っているころ、左にいた常連二人が連れ立って店を出て行った。きっと二人は楽しい週末のメインディッシュをこれから満喫するのだろう。かたや私は疲れた心身をアルコールで静かに慰める地味な時間だと、自虐的に思ったりもした。

 しばらくすると女難の彼も会計をして、カウンターは私一人になった。話し相手がいないのも椅子の座りが悪いので、最後に小さめのビールをもらい、そそくさと店を後にした。

 行きに通り過ぎた繁華街を逆向きに歩を進める。いよいよ活況を呈してきたキャバクラの呼び込みや中国人マッサージの呼び込みをすり抜けて、酔い覚ましを兼ねて一駅分歩いてみた。つい先週までは夏の名残の暑さが堪えたが、いまや肌寒いくらいで、季節はいつの間にか移ろいでいくのだ。いつだって少しづつ変化している。その時には変化に気づかなくても、ある瞬間に、世界がくるりと入れ替わってしまったかのように気づくことがある。よいこともあれば、その逆も然りで、ただ言えるのは常に変化は起こっているということ。諸行無常なんて言ってしまえば、言い古されたセピア色の景色だが、変化はいつだって新鮮で刺激的なのだ。いまこうしているどうでもいい時間も変化は進行している。明日の自分は、今日の自分と何かが変わっていて、その変化によってまた何かに変化をもたらす。60億人という膨大な人間がすべからく変化し続け、影響しあっている。壮大な多体問題だなと、少しうつろになった思考を巡らせた。

 数メートル先に地下鉄の入り口が見えた。長かった今週が、忙しかった今日がようやく終わりを迎える。少しうつむきながら、三越前駅の階段を降りる。地下鉄が通り過ぎるたびに吹かれる生暖かい風が、くたびれた前髪をはためかせる。少し目を細めて、ゆっくりと地下へと私は飲み込まれていった。

プログラミング教育

この記事はhttp://techacademy.jp/magazine/8525を参考に作成しています。

 

プログラミングが小学校の必修科目に

小学校の授業に「プログラミング」が必修科目として追加されるそうだ。果たしてそれは良いことなのだろうか?私的見解ではあるが考察していきたい。
この動きの背景として、IT人材の不足があるようです。経済産業省が発表した「IT人材が不足する予測」では、2020年に36.9万人、2030年には78.9万人の不足が生じるとされている。IT関連ビジネスは、今後も拡大していく兆しを見せているので、需要も拡大していくことは予測がつく。
なぜプログラミングだけが初等教育から必修科目になるほど重要視されているだろうか。これには、2013年6月に発表された政府の成長戦略に盛り込まれた「義務教育段階からのプログラミング教育等のIT教育を推進する」というプログラミング教育の明言から起因しているようだ。さらに、総務省は2025年までにIT人材を新たに100万人育成する方針を発表していることから、国策としてIT人材の強化を考えていることが窺える。

 

日本以外の動き

プログラミング教育の動きが出ているのは、実は日本だけではなかった。

アメリカ
・プログラミング教育の推進を進めるNPO法人Code.orgが活発に活動
・2013年末にオバマ大統領自らがプログラミング教育の必要性を訴える動画が公開

シンガポール
・経済の活性化を目的にプログラミング教育が推進される
・公立学校にプログラミング授業を積極的な導入を検討

エストニア
・小学校1年生からプログラミング教育することを発表
・国民の7割がオンラインバンキングを利用するなどITが発達・浸透している

イギリス
・2012年に教師へのプログラミング教育を開始すると発表

フィンランド
・2016年からプログラミング教育が小学校の必修科目に
・ネット接続する権利を国が保証するなどITを重要視している

 

なぜプログラミングなのか

インターネットが登場してから、プログラミングがぐっと身近な存在になったと感じている。もちろんそれ以前にもコンピュータを用いた電算処理は存在していたが、人的な労力をかけて入力などの作業を行ってから処理をする完全自動化はされていなかった。ところがモノのインターネットと言われる「IoT(Internet of Things、IoT)」が登場してから、完全自動化されることが飛躍的に増えたのではないだろうか。

例えば、「外気温が35度を超えたらリビングのエアコンを稼働させる」というプログラムがあった場合の処理を考えてみよう。
1)室外に設置されたセンターが気温を観測、計測データを管理コンピュータに送信
2)管理コンピュータはセンサーから送られるデータを参照。「39℃」以上の値をトリガーにしてエアコンに起動命令を発信する
3)起動命令を受信したエアコンが稼働をはじめ室内を冷やす

上記に登場する「室外センサ―」、「管理コンピュータ」、「エアコン」はそれぞれ独自の役割を果たしつつ、通信でつながっている。また、それぞれの役割を全うするために「プログラム」が組み込まれている。
プログラムは難しく思われがちだが、シンプルに言えば「input→処理→output」をする仕組みとなる。
室外センサ―なら、測定した気温をinputして、数値化された値outputする。さらにその値のoutputをトリガーにして、通信をする。といった具合に一つ一つの処理は単純である。こういった処理をいくつも連結させて、複雑な処理へと昇華させている。

少々話がそれたので戻す。
例で紹介したそれぞれにプログラミングが必要だ。このようなIoTは驚くほど速く、広範囲に拡大をしている。あらゆる場面や製品にプログラムが組み込まれる日もそう遠くはない。そうなるとプログラマー需要は非常に高くなる。もしプログラマー不足が深刻な事態に陥ると、日本の製造業はモノを作れなくなってしまうかも知れない。そして輸出による外貨獲得もままならなくなり、景気も落ち込んでいく。
でもこれって、IT業界に限った話ではないと思う。
たとえば、自動車産業が衰退するとなったら、日本は小学校で自動車開発に寄与する教育を行うのか?とても違和感がある。

 

プログラムはIT産業の一部門

プログラムも「言語」であるが、国語や英語にならんで習得すべきものなのだろうか。
英語教育は、グローバル化を先んじて日本人も他国の人間とコミュニケーションをとる必要性から始まった。と思う。その背景には、グローバルビジネスで競争力を得るため、という命題もあったはずだ。いまや英語は国数理社と並ぶ教科として完全に浸透した。
英語教育が始まるころ、なぜ英語を学ばなければいけないのか理解できない人もいただろう。英語を習ったって、周りに外国人はいないじゃないか。と思っただろう。それがどうだろう。いまや日本を訪れる外国人は増加の一途をたどり、外国人を目にしない日はないほどだ。
通りすがりに道を聞かれたり、電車の乗り方を聞かれることだって、一度や二度ではないはず。飲み屋やバーで隣り合わせて、同じ時間を楽しむことも珍しい話ではない。こういったコミュニケーションができるのは、英語教育の賜物だと思う。(学習している期間が長い割には話せない、という課題もあるがここでは触れない)
ではプログラミングを覚えると生活が変わるのだろうか?
10年後、20年後の生活を想像するのは、なかなか難しい。大きなパラダイムシフトによって、プログラミングなしには生活が不便になる、ことにもなる知れないが、普通に考えれば支障をきたすことはないだろう。プログラミングは、IT産業における一つの部門なのである。それが生活に侵食してきて、基礎教養として必要になるというのは考えにくい。プログラミングをはじめ、デジタル技術の発達、リテラシーの向上で生活が豊かに便利になることは、きっとあるだろう。現実にいまだってそうだ。それは個人の趣味趣向であって「教育」して培うべき種類のものではないと個人的に感じる。
初等教育でプログラミングを取り入れることに危惧もある。合理的なプログラミング思考は大いに結構だが、ダイバーシティと相反することにならないだろうか。まだ自己が定まっていない形成期の少年少女を型に嵌めることにはならないだろうか。教育は、視野を広くするこができ、将来の様々な可能性を見出すことのできる素晴らしいものであるが、一方で思考を凝り固まらせる足枷のようで、諸刃の剣ではないかと思っている。プログラミング教育が、経済成長に貢献する一方で、自らを傷つける刃にならないことを祈るばかりだ。

晩婚化について

結婚しない、結婚できない人が増えているという。日本だけに限らず先進国の「晩婚化」傾向はあるようだ。世界の事情はさておき、なぜ日本は晩婚化の傾向があるのかを考察してみる。

初婚年齢の推移
 1910年|男26.8歳|女22.9歳|3.9歳差
 1920年|男27.4歳|女23.2歳|4.2歳差
 1930年|男27.3歳|女23.2歳|4.1歳差
 1940年|男29.0歳|女24.6歳|4.5歳差
 1950年|男25.9歳|女23.0歳|2.9歳差
 1960年|男27.2歳|女24.4歳|2.8歳差
 1970年|男26.9歳|女24.2歳|2.7歳差
 1980年|男27.8歳|女25.2歳|2.6歳差
 1990年|男28.4歳|女25.9歳|2.5歳差
 2000年|男28.8歳|女27.0歳|1.8歳差
 2010年|男30.5歳|女28.8歳|1.7歳差
 2011年|男30.7歳|女29.0歳|1.7歳差
 2020年|男32.3歳|女30.7歳|1.6歳差 ※2020年は予測値
<出典>http://konkatunokotu.jp/statistics/14031712.php(コンカツノコツ)

 

1910年からの100年で男性は約4歳、女性は約6歳あまり初婚時期が遅くなっている。また男女の年齢差は約2.5歳あまり歳の差が縮まっている。この100年で人の暮らしは大きく変化した。その変化の中においては「晩婚化」と言われる現象も大した変化ではない、と個人的には感じている。

この推移表の初年にあたる1910年(明治43年)。伊藤博文が暗殺され、映画監督の黒澤明が生まれた年だ。日本の人口は5000万強(国勢調査実施前のため推測)。米10kgが約1円、大卒初任給が30円程度だった時代だ。ちなみに、当時の道路舗装率は1%未満で純国産のガソリン車が誕生したのが1907年と言われている時代で、現代の暮らしとは大きな隔たりがあるのだ。

晩婚化はとりとめて大きな問題ではない、とはいえ、うやむやにしてはいけない問題がある。それは少子高齢化。医療技術の発達や衛生管理の向上などによって、日本人の平均寿命は著しく向上した。明治時代の平均寿命は40歳くらいといわれている(平均余命ではない)。現在は80歳を超えているから、おおよそ倍の時間の人生を歩めるということになる。晩婚化、少子化、高齢化はそれぞれに因果関係があり、将来の不安材料とも言える。人口構成比が大きく変わってしまい、社会制度は事実上破たんしている。

約100年の間に生活は大きな変貌を遂げたが、人間としての肉体はさほど変わっていないのだ。身長が高くなり、足が長くなって、いわゆる欧米型に近づくといった変化はみられるが、生殖における適齢期は変わっていない。婚期が遅くなれば、それだけ出産適齢期を過ぎることになり、第2子、第3子を授かる機会もおのずと減ってしまう。少子化に至る要因のひとつである晩婚化。なぜそうなったのか。とても私的な見解だがポイントを3つに絞って考えてみたい。

 

1.生活の多様化/価値観の多様化

多様化時代と言われて久しい昨今、様々なところで「多様化」や「ダイバーシティ」という言葉を耳にする。経済の発展、戦争などの生命危機の減少がベースとなって、生活が安定かつ豊かになった。樹形図の先端が花開くように近現代において多様化は急速に拡大した。多様化とは個性の尊重と表裏であり、生活者それぞれが独自の価値観を育むことを容認することと同義である。そのため「結婚しない/したくない」という考えの肯定でもあるし、価値観や将来設計の相違による「結婚できない」個人を生み出すことにもなる。

また個人の多様化に呼応するように社会も複雑化する。職業の種類は細分化され、働き方も常に新しい手法を模索されるようになる。娯楽においても多種多様な分野、深さを自分の嗜好に合わせて享受することができるため、大げさに言えば人生の喜びは幸せな結婚生活だけではないと考えられるようになった。いささか時代錯誤ではあるが、女性の幸福は「結婚して子供を産んで育て、家族円満な家庭を築くことである」なんて決めつけたら、女性擁護団体からバッシングを食らうであろう。結婚・出産に幸福はある。それは間違いない。ただ一方でこの多様化した時代を謳歌するには、足枷になることもあるのだ。ここ数年、もはや流行語でも単なるトレンドではなく定着した「主夫/イクメン」は、夫婦で一緒に多様化時代を満喫する必然性のあるライフスタイルなのであろう。

また「いつかは結婚したい」けれど、もう少し自由を楽しみたい、というモラトリアム的な思想も晩婚化に大きな影響を与えていると考えられる。

 

2.非正規雇用の増加と女性の社会進出

20代における女性の平均年収が男性を上回ったという。これは男性比率の高い製造業の賃金低下、女性就業率の高い専門職やサービス業の賃金向上が要因と言われている。こうした変化が、特に男性を結婚から遠ざけているのではないかと推察する。今日において、男性よりも収入の多い女性は珍しくない。しかし、それを受け入れられる男性も少なくない。

収入と結婚は密接な関係にある。当たり前だが家族が暮せなければいけない。日本全体が貧しかったころは、家族が毎日食べられるだけの食料と風雨を避ける住まい、そして着るものがあれば十分だった。まさに衣食住がこと足りればよかったのである。しかし生活が豊かになると、よそ行きの服が必要になったり、交際費がかさんだり、充実した余暇が必要になったりと「最低限」が指す内容が、生きるための最低限ではなく、一般的な豊かな暮らしをしている人と比べて遜色ない生活を営むことに基準がおかれているように感じる。そしてこれらは主に女性のほうにその傾向が強いのではないか。そのことに男性は面倒を覚え、結婚に二の足を踏んでしまうかも知れない。もし女性が読まれて気を悪くしてはいけないので、言い訳がましく補足すると、高い水準の生活を望むことは決して悪いことではない。むしろ望み、より充実した暮らしを渇望することで経済が潤滑していく原動力となる。女性は生活を楽しむことに長けているので、そのエネルギーも大きい。1点だけ言わせてもらえば、その価値観は男性と完全にマッチすることはレアケースであるため、収入格差のある男女(もちろん女性上位)の場合、男性の抱えるストレスは相当なものになるのだ。

 

3.将来に対する不安

高度経済成長やバブルを経験しているか、していないか。この差は非常に大きく、未経験である者の漠然とした不安は地中深くに根差している。1970年代以降に生まれた人間はおそらく抱えているであろう。最近は聞かれなくなったが、年長者は酒を飲むとよく口にしていた「明日がもっとよくなる、豊かになることを信じていた」と。1976年に生まれた私からすると、正直信じられない。毎年の昇給や賞与が見込めて、会社は安泰、つつがなく仕事をすればここまで出世して、退職金はこれくらい。というライフプランのベースになる収入が予測出来て、経済状況が良ければ、そういうのも不思議ではないが。

上記の2にも密接に関係することだが、1億総中流から弱肉強食の淘汰すべからい時代へと移行しているのである。またグローバル化に伴い世界経済が緊密に影響しあっていることで、富の集中とリスクの全体分散がこの現象を助長している感じる。記憶に新しいリーマンショックがいい例だ。格付けの高い金融商品に住宅債権を紛らわせて莫大な富を手にした一部の人間の尻拭いを世界中の労働者で分散する格好になった。理不尽極まりないがそういう仕組みになってしまっているのだ。

なぜアメリカの低所得者向け住宅融資の破綻が太平洋を隔てた日本にまで、いや世界中に影響を与えるかを考えてみればいい。実体経済とは乖離した部分、マネーゲームというのはあまりにも平坦すぎるか。いずれにしても、今日の頑張りだけでは希望を見出せない世の中であることは確かだ。あまりにも不安要素が多すぎる。そこにマスコミの煽りが加味されて、明るい未来が描きにくいのである。そんな不安を抱える時代に結婚が促進されるはずはない。

 

どうしても晩婚化の要因を考察していくとネガティブな話になってしまう。どこかで価値観を軌道修正する必要がある。たとえばスローライフに代表されるような、金銭とは離れたところに価値を見出す考え方だ。コト主義と言ってもいい。生きるために必要な、生きることを豊かにするための時間・空間をもっと掘り下げていく。まだまだ日本は何事もファッションとして捉えているきらいがある。それは古来から連綿と続いてきた日本らしい暮らしや価値観を、この100年足らずで大きく歪めてきた後遺症のように感じる。その反動で、日本文化を見直す動きも活発になってきた。花鳥風月、晴耕雨読。農耕民族としてDNAに刷り込まれた記憶が、新らしいバランスを構築するヒントになる、そんな気がしてならない。