晩婚化について

結婚しない、結婚できない人が増えているという。日本だけに限らず先進国の「晩婚化」傾向はあるようだ。世界の事情はさておき、なぜ日本は晩婚化の傾向があるのかを考察してみる。

初婚年齢の推移
 1910年|男26.8歳|女22.9歳|3.9歳差
 1920年|男27.4歳|女23.2歳|4.2歳差
 1930年|男27.3歳|女23.2歳|4.1歳差
 1940年|男29.0歳|女24.6歳|4.5歳差
 1950年|男25.9歳|女23.0歳|2.9歳差
 1960年|男27.2歳|女24.4歳|2.8歳差
 1970年|男26.9歳|女24.2歳|2.7歳差
 1980年|男27.8歳|女25.2歳|2.6歳差
 1990年|男28.4歳|女25.9歳|2.5歳差
 2000年|男28.8歳|女27.0歳|1.8歳差
 2010年|男30.5歳|女28.8歳|1.7歳差
 2011年|男30.7歳|女29.0歳|1.7歳差
 2020年|男32.3歳|女30.7歳|1.6歳差 ※2020年は予測値
<出典>http://konkatunokotu.jp/statistics/14031712.php(コンカツノコツ)

 

1910年からの100年で男性は約4歳、女性は約6歳あまり初婚時期が遅くなっている。また男女の年齢差は約2.5歳あまり歳の差が縮まっている。この100年で人の暮らしは大きく変化した。その変化の中においては「晩婚化」と言われる現象も大した変化ではない、と個人的には感じている。

この推移表の初年にあたる1910年(明治43年)。伊藤博文が暗殺され、映画監督の黒澤明が生まれた年だ。日本の人口は5000万強(国勢調査実施前のため推測)。米10kgが約1円、大卒初任給が30円程度だった時代だ。ちなみに、当時の道路舗装率は1%未満で純国産のガソリン車が誕生したのが1907年と言われている時代で、現代の暮らしとは大きな隔たりがあるのだ。

晩婚化はとりとめて大きな問題ではない、とはいえ、うやむやにしてはいけない問題がある。それは少子高齢化。医療技術の発達や衛生管理の向上などによって、日本人の平均寿命は著しく向上した。明治時代の平均寿命は40歳くらいといわれている(平均余命ではない)。現在は80歳を超えているから、おおよそ倍の時間の人生を歩めるということになる。晩婚化、少子化、高齢化はそれぞれに因果関係があり、将来の不安材料とも言える。人口構成比が大きく変わってしまい、社会制度は事実上破たんしている。

約100年の間に生活は大きな変貌を遂げたが、人間としての肉体はさほど変わっていないのだ。身長が高くなり、足が長くなって、いわゆる欧米型に近づくといった変化はみられるが、生殖における適齢期は変わっていない。婚期が遅くなれば、それだけ出産適齢期を過ぎることになり、第2子、第3子を授かる機会もおのずと減ってしまう。少子化に至る要因のひとつである晩婚化。なぜそうなったのか。とても私的な見解だがポイントを3つに絞って考えてみたい。

 

1.生活の多様化/価値観の多様化

多様化時代と言われて久しい昨今、様々なところで「多様化」や「ダイバーシティ」という言葉を耳にする。経済の発展、戦争などの生命危機の減少がベースとなって、生活が安定かつ豊かになった。樹形図の先端が花開くように近現代において多様化は急速に拡大した。多様化とは個性の尊重と表裏であり、生活者それぞれが独自の価値観を育むことを容認することと同義である。そのため「結婚しない/したくない」という考えの肯定でもあるし、価値観や将来設計の相違による「結婚できない」個人を生み出すことにもなる。

また個人の多様化に呼応するように社会も複雑化する。職業の種類は細分化され、働き方も常に新しい手法を模索されるようになる。娯楽においても多種多様な分野、深さを自分の嗜好に合わせて享受することができるため、大げさに言えば人生の喜びは幸せな結婚生活だけではないと考えられるようになった。いささか時代錯誤ではあるが、女性の幸福は「結婚して子供を産んで育て、家族円満な家庭を築くことである」なんて決めつけたら、女性擁護団体からバッシングを食らうであろう。結婚・出産に幸福はある。それは間違いない。ただ一方でこの多様化した時代を謳歌するには、足枷になることもあるのだ。ここ数年、もはや流行語でも単なるトレンドではなく定着した「主夫/イクメン」は、夫婦で一緒に多様化時代を満喫する必然性のあるライフスタイルなのであろう。

また「いつかは結婚したい」けれど、もう少し自由を楽しみたい、というモラトリアム的な思想も晩婚化に大きな影響を与えていると考えられる。

 

2.非正規雇用の増加と女性の社会進出

20代における女性の平均年収が男性を上回ったという。これは男性比率の高い製造業の賃金低下、女性就業率の高い専門職やサービス業の賃金向上が要因と言われている。こうした変化が、特に男性を結婚から遠ざけているのではないかと推察する。今日において、男性よりも収入の多い女性は珍しくない。しかし、それを受け入れられる男性も少なくない。

収入と結婚は密接な関係にある。当たり前だが家族が暮せなければいけない。日本全体が貧しかったころは、家族が毎日食べられるだけの食料と風雨を避ける住まい、そして着るものがあれば十分だった。まさに衣食住がこと足りればよかったのである。しかし生活が豊かになると、よそ行きの服が必要になったり、交際費がかさんだり、充実した余暇が必要になったりと「最低限」が指す内容が、生きるための最低限ではなく、一般的な豊かな暮らしをしている人と比べて遜色ない生活を営むことに基準がおかれているように感じる。そしてこれらは主に女性のほうにその傾向が強いのではないか。そのことに男性は面倒を覚え、結婚に二の足を踏んでしまうかも知れない。もし女性が読まれて気を悪くしてはいけないので、言い訳がましく補足すると、高い水準の生活を望むことは決して悪いことではない。むしろ望み、より充実した暮らしを渇望することで経済が潤滑していく原動力となる。女性は生活を楽しむことに長けているので、そのエネルギーも大きい。1点だけ言わせてもらえば、その価値観は男性と完全にマッチすることはレアケースであるため、収入格差のある男女(もちろん女性上位)の場合、男性の抱えるストレスは相当なものになるのだ。

 

3.将来に対する不安

高度経済成長やバブルを経験しているか、していないか。この差は非常に大きく、未経験である者の漠然とした不安は地中深くに根差している。1970年代以降に生まれた人間はおそらく抱えているであろう。最近は聞かれなくなったが、年長者は酒を飲むとよく口にしていた「明日がもっとよくなる、豊かになることを信じていた」と。1976年に生まれた私からすると、正直信じられない。毎年の昇給や賞与が見込めて、会社は安泰、つつがなく仕事をすればここまで出世して、退職金はこれくらい。というライフプランのベースになる収入が予測出来て、経済状況が良ければ、そういうのも不思議ではないが。

上記の2にも密接に関係することだが、1億総中流から弱肉強食の淘汰すべからい時代へと移行しているのである。またグローバル化に伴い世界経済が緊密に影響しあっていることで、富の集中とリスクの全体分散がこの現象を助長している感じる。記憶に新しいリーマンショックがいい例だ。格付けの高い金融商品に住宅債権を紛らわせて莫大な富を手にした一部の人間の尻拭いを世界中の労働者で分散する格好になった。理不尽極まりないがそういう仕組みになってしまっているのだ。

なぜアメリカの低所得者向け住宅融資の破綻が太平洋を隔てた日本にまで、いや世界中に影響を与えるかを考えてみればいい。実体経済とは乖離した部分、マネーゲームというのはあまりにも平坦すぎるか。いずれにしても、今日の頑張りだけでは希望を見出せない世の中であることは確かだ。あまりにも不安要素が多すぎる。そこにマスコミの煽りが加味されて、明るい未来が描きにくいのである。そんな不安を抱える時代に結婚が促進されるはずはない。

 

どうしても晩婚化の要因を考察していくとネガティブな話になってしまう。どこかで価値観を軌道修正する必要がある。たとえばスローライフに代表されるような、金銭とは離れたところに価値を見出す考え方だ。コト主義と言ってもいい。生きるために必要な、生きることを豊かにするための時間・空間をもっと掘り下げていく。まだまだ日本は何事もファッションとして捉えているきらいがある。それは古来から連綿と続いてきた日本らしい暮らしや価値観を、この100年足らずで大きく歪めてきた後遺症のように感じる。その反動で、日本文化を見直す動きも活発になってきた。花鳥風月、晴耕雨読。農耕民族としてDNAに刷り込まれた記憶が、新らしいバランスを構築するヒントになる、そんな気がしてならない。