須田町の夜/October 14,2016

 ハナキンと呼ばれなくなって久しい週末を控えた金曜日。赤ら顔のサラリーマンが賑わう繁華街から少し離れた路地裏にあるその店は、クラフトビールを売りにしているためか、それ以外のアルコールのバリエーションが明らかに少なくビールを飲んで欲しい意思がはっきり表れているものの、無類のビール好きが集まるようなこともない。10には満たないくらいのタップが並び、店内のゾーニングをそれらしい構えにしているのだが、悪意を込めて表現すれば、コンセプトの中途半端な印象だ。しかし一方で親しみを持って伝えると、肩の力を抜いて羽を休めることができる馴染みの宿り木とも言える。

 つい数分前にすり抜けてきた街の喧騒もここには届かない。脂ぎった威勢のよいサラリーマンもいなければ、派手に男遊びをして、昨晩寝た男の話題をアクセサリー替わりにチラつかせる女もいない。アルコールに上気しながらも慎ましく杯を傾ける、大人しい客が多い店だ。

 嵐のような5日間をどうにかやり過ごして、ようやく金曜日も幕を降ろそうとしている。体にまとわりついた疲労を洗い流すとともに、仕事の達成感をクールダウンするには、適度のアルコールよりも相応しいものはこの世の中に存在しない。

 ここ数年、平日にアルコールを控えるようになった。それまでは毎晩それなりの量を当たり前のように摂取していたから、慣れるまではいつも渇望感があったが、今となってはそれも遠い記憶だ。月曜から木曜までの休肝日は金曜日のささやかな愉しみを少しだけ大きくしてくれる調味料だと思えば、それも悪くない。愉しみを大きくするために我慢するというと、ちょっと大人びた自制心にも聞こえるが、そうではなかった。朝の目覚めの気怠さに嫌気を覚え、いつの間にかそうなっただけのことである。人間は合理的な一面もあるし、物事をポジティブに考えられる都合のよさも持ち合わせたハッピーな生き物だ。

 大きめのタンブラーでビールを注文して、五日ぶりのアルコールを勢いよく流し込むと、それに押し出されるように週末の実感が湧いてくる。後ろ向きではない深い溜息がこぼれ、今週もよく頑張った、と自分を振り返った。特に今日は、とあるナショナルクライアントの競合コンペがあり、数週間前から日常業務の時間をやり繰りして準備をしてきたプランを提案できたのだから、溜息も少し深かったかも知れない。まだ興奮が残っているが、心地よい安堵と静寂を久しぶりに味わった気がする。

 アルコールを邪魔しない肴を見繕っていると、鯵の刺身を勧められた。秋が深まりだしたこの頃には脂ものっているだろうが、刺身とビールの食べ合わせがどうも好きになれない。青魚独特の匂いがビールで増長されてしまうのがどうしても気になってしまうのだ。翌日は定休日になっているから、生鮮食材をなるべく片づけておきたいマスターの気持ちを汲んで、ここは頼むことにした。それと一緒に、保険ではないけれど、秋に似つかわしくないエシャロットもつけた。

 カウンターに出された大ぶりな鯵の切り身は新鮮で、さっきまでの思案は杞憂であったことに少し顔をほころばせ、グラスに半分になったビールで流し込んだ。空腹だった胃袋にものが収まると、心身ともに人心地つく。小難しい世の中を跋扈する人間もやはり動物なんだと一人合点して、もう一度、鯵を口に運んで、残ったビールを空にする。同じものを注文して、煙草に火をつけ、もう一度店内を見渡してみる。さっきと寸分も違わず同じ光景が目に入った。どうして酔っぱらいはこうも金太郎飴のように同じ状態でいられるのか不思議でならない。変化があれば、それを目で楽しんで酒の肴にもなろうものだが、どうも具合がよくない。

 視線を向き直して、左隣にいる常連へと向ける。今年三十路となったその男は、いつも物静かで多くを語らない。不器用さを器用に操る油断ならないいい奴だ。少なくとも週に5日は通っているようで、よほどこの店が気に入っているのだろう。もしかすると同じように通い詰めている彼よりも少し年上の女性がその理由かも知れない。今晩もそろそろ顔を出す時間だ。幾分せわしなく外に視線を泳がせている様子を見ると、目当てはやはり後者なのだろう。

 彼とたわいもない近況を話して、間をつなぐ。なにも生産しない代わりになんの害ももたらさない大人の所作をひと通り済ませたころ、その女性が現れた。久しぶりだね、と声をかけられ、やはり大人の所作で挨拶を済ますと、常連のふたりは、昨晩の話題の続きを話し始めて、私は取り残されてしまった。仕方がない。門外漢は私なのだから。

 気分を変えて、逆サイドの会話に首を突っ込んでみる。少し酔いがまわってきたようだ。日中の自分よりも随分と饒舌になってきた。

 この彼は私よりも少し年長で、耳まで被さるような髪の毛と整った顔立ち。俗っぽい言い方をするとモテそうなおじさんだ。以前、私が足しげく通っていた日本橋のはずれにあるスペインバルが近頃オーナーチェンジをして店をリニューアルしたことを話していたので、懐かしくなってつい話を割って入ってしまった。

 よくよく聞いてみたら、どうやら同じころにその店へ彼も言っていたらしい。とはいえ、私が行く時間は0時をまわってからがほとんどだったからすれ違うこともなかったようではあるが。

 その彼とマスターがくぐもった声で、にやつきながら話している。こういう時の男はたいていどうしようもない話ーー端的に言えばセックスだったり、その類であることが多いーーをしていることがほとんどだ。今回も例外ではなく、ここに来る前にホテヘルを呼んだのだがイマイチだったと、そのイマイチな理由をディテールに至るまで詳細に話していた。洋の東西を問わず、いつの時代だって男はその手の話が好きだし、話題には事欠かないネタをいつだって収集しているのだ。

 楽しい話がひと区切りついたようなので、話題を変えて話しかけてみる。彼は既婚者で娘が二人。奥さんとは薄皮一枚でつながっているのだという。自分以外の家族がみんな女性であることから、ストレスも多いらしく、息抜きに風俗へ行ったり、飲みに行ったりしているようだ。女性に起因したストレスを女性で発散するのも可笑しなことだな、と思っているころ、左にいた常連二人が連れ立って店を出て行った。きっと二人は楽しい週末のメインディッシュをこれから満喫するのだろう。かたや私は疲れた心身をアルコールで静かに慰める地味な時間だと、自虐的に思ったりもした。

 しばらくすると女難の彼も会計をして、カウンターは私一人になった。話し相手がいないのも椅子の座りが悪いので、最後に小さめのビールをもらい、そそくさと店を後にした。

 行きに通り過ぎた繁華街を逆向きに歩を進める。いよいよ活況を呈してきたキャバクラの呼び込みや中国人マッサージの呼び込みをすり抜けて、酔い覚ましを兼ねて一駅分歩いてみた。つい先週までは夏の名残の暑さが堪えたが、いまや肌寒いくらいで、季節はいつの間にか移ろいでいくのだ。いつだって少しづつ変化している。その時には変化に気づかなくても、ある瞬間に、世界がくるりと入れ替わってしまったかのように気づくことがある。よいこともあれば、その逆も然りで、ただ言えるのは常に変化は起こっているということ。諸行無常なんて言ってしまえば、言い古されたセピア色の景色だが、変化はいつだって新鮮で刺激的なのだ。いまこうしているどうでもいい時間も変化は進行している。明日の自分は、今日の自分と何かが変わっていて、その変化によってまた何かに変化をもたらす。60億人という膨大な人間がすべからく変化し続け、影響しあっている。壮大な多体問題だなと、少しうつろになった思考を巡らせた。

 数メートル先に地下鉄の入り口が見えた。長かった今週が、忙しかった今日がようやく終わりを迎える。少しうつむきながら、三越前駅の階段を降りる。地下鉄が通り過ぎるたびに吹かれる生暖かい風が、くたびれた前髪をはためかせる。少し目を細めて、ゆっくりと地下へと私は飲み込まれていった。